優しい磯ラーメン

半島の東側にある、ちょっと出っ張った更なる小さな半島のような場所のその突端に着くと、満開のアロエの赤い花と白い水仙の花が視界を占めるように広がっていた。花々の奥には濃い青を湛えた入り江が見える。ここに向かう間、私たちの車の前を走っていたオレンジ色の路線バスが、海を背にした回転場の停留所で次の発車時刻を待っている。
群生する水仙の花は少しだけ見頃を過ぎている上に平日の午後、この贅沢な場所に私たち以外にほとんど人はいない。写真を撮るのに集中したせいで蒸れたマスクを少し下げると、辺りには可憐な甘い匂いが漂っていた。

岬の灯台まで歩いて戻って来るとお腹が空いていた。駐車場の脇にある古い食堂兼売店の店先に、客が来ることなど全く想定していない様子で日向ぼっこをしながら読書をしているおばあちゃんがいる。「食べられますか?」と声をかけるとびっくりしたように「あんまり色々は出せないんだけど」と呟きながらよっこいしょと本を置き、椅子から立ち上がってくれたのはとても小柄な人だった。
カレーを所望した夫に、ご飯炊いてないのよ、と申し訳なさそうに顔を赤くして、ラーメンなら、と言ってくれるので、二人して「磯ラーメン」を頼む。
薄暗い店内には昭和的な雰囲気の土産物が並び、壁には以前ここを訪れた芸能人の日に焼けたサイン色紙が貼られてある。ほら穴のように静かな店内に、湯を沸かす音や蒸気に混じりだんだんといい匂いが流れてくると、おばあちゃんがお盆に一つずつゆっくりと、磯ラーメンを運んで来る。椀の中央にはなんとサザエが載っている。たっぷりと岩のりとワカメも入った立派なラーメンだ。
少し伸びた麺とシンプルな醤油味のスープがなんだか妙に懐かしく、優しい気持ちがこみ上げる。子どもの頃に食べたのを思い出すようなラーメン。メンマは、ちょっと不思議な味がしたけれど、黙ってそっと食した。

帰りの車の中で夫と、美味しかったね、他では食べられないラーメンだったね、と話す。
でもメンマは多分ちょっと悪くなっていたよね?と私が言うと、夫はウソ?と驚いて、変わった味のメンマだなとは思ったけど、そういう風味なんだと思ってたよ、と笑う。
おばあちゃんにはとてもじゃないけどそんなこと言えなかったからちゃんと食べたよ、と私が言うと、でももしかしたらそれは、言ってあげた方が優しさだったのかもしれないよね、と返される。確かにおばあちゃんがメンマが悪くなっていることに気づかないまま、次にラーメンを作る機会にもまたそのメンマを使ったら、と考えると、私がその時気づいたのに教えてあげなかったのは偽善ということになってしまうのかもしれない。難しい。あのメンマが、私たちに出すことで使い切ったメンマでありますようにと願う。
でもいずれにしろ、やっぱり言えなかったな私には。あの小さいおばあちゃんが、おそらくは久しぶりに来た客のために一人で丁寧に作ってくれた二人前の磯ラーメンに、美味しかったの代わりにクレームを言うくらいなら、その場しのぎの偽善者になることを、私はきっと選んでしまう。弱さ故のその場しのぎの優しさが、私を偽善者にする。