■ 番外編02   牛垣嶺氏との往復書簡2

 

牛垣さんこんばんは。

最近僕は「本当のこと」ということについて考えています。

ある写真家が言います。
路上には本当のことがある、と。
僕は思います。
写真を写すと本当のことになる、と。

本当のことというのは、一つになることです。
一瞬垣間見える生(せい)の気配と一つになること。
一つになる為にはどうしたら良いでしょう?

手を合わせること。

僕たちは食べ物を前に、命をいただく時、「いただきます」と手を合わせます。
生きていた命をいただく、あの厳粛。

写真を撮る時も同じです。
生(せい)の気配を前に、祈るように手を合わせる、心の中で。

そうして目の前の世界と一つになる、本当のこと。

ワンネス。

追伸…添付した写真は祈るように最近撮った、生(せい)の気配です。

 

 

千葉さんこんばんは。

写真ありがとうございます。
以前仰っていた気配の写真ですね。
人の手が写っているものが気になりました。

前回の河の話と通じてますね。
私も写真行為がまさに祈る行為に近いのかなと思ったことがあります。
命を頂いたあとは「御馳走様」と再び手を合わせます。料理に関わってくれた人達への感謝です。
撮影がいただく行為ならば、暗室でのプリントは感謝を表す行為になるのでしょうか。
そしてただ頂くだけではなく、しっかりと咀嚼して消化吸収しなければ身につきません。そこで初めて一つになれる気がします。
ただ慌ただしく食べるのと、一口ずつ味わって食べるのとでは明らかに気持ちが違います。
有り難い毎日の営みに敬意を表して生きていきたいものです。忙しいとどうしても疎かになりますが、、、
お墓でも手を合わせますね。
清浄な右手(仏)と不浄な左手(人)を合わせて一つになり、身を清める行為だそうです。

本当の事とは自分の中にあるものなのでしょう。

 

 

牛垣さんこんばんは。

今日一枚一枚心の中で手を合わせるように写真を撮ることを心がけました。

生の気配が一瞬垣間見えます。
その時僕は踏み出します。
そして一礼するように踏み込み、
手を合わせるようにシャッターを押すのです。

僕は写真を始めて初めて被写体の人々に敬意を持っている気がします。

スナップってこんなに楽しかったんですね。
生まれ変わった気分です。

今日の敬意、数枚添付します。
いつもありがとうございます。

 

 

千葉さんこんばんは。

こちらこそいつもありがとうございます。
千葉さんのその写真に向き合う姿勢に感化されています。
メールを頂かなければ一人で考えることもあまりしないので、とても刺激になっています。