*新しく書かれたものが上に来ます*

 

僕が見た世界 #11

2025.01.08

小学校4年生の夏休みの課題を昆虫採集にしようと張り切っていた。何故なら、偶々訪れたスーパーに昆虫採集作成キットなる、死んでしまった昆虫の腐敗を止める薬液と注射針がセットになった商品が売っていて、僕は飛び付いたのだ。担任の先生にも大風呂敷を広げ、皆が僕の昆虫採集を楽しみに夏休みに入って行った。僕は命懸けで昆虫採集に取り組む約束をしたのだった。
夏休みに入って、しばらく昆虫採集のことは忘れていた。昆虫の王者カブトムシの雄と雌、カブトムシの右大臣・左大臣のクワガタ雄と雌、花と同じくらい美しいアゲハチョウ、僕の頭の中では既に成功していたが、昆虫をどう工面するかは深く考えていなかった。あったのは昆虫採集作成キットのみであった。夏休みが終わりに近付いてきたが、僕は全く焦らなかったし、実は面倒くさくなってしまっていて、任意の提出物である昆虫採集はやめようと思い始めていた。僕は元来、他者の期待を裏切ることに全く躊躇いがなかったし、僕のことに関しては僕自身がわかっていれば良かったのだ。そうして昆虫が1匹も採集出来ずに9月1日の登校日がやってきた。担任の先生は僕を見るや否や、昆虫採集は進んでいますか?と言ってきた。咄嗟に僕は やりませんでした とは言えずに、明日持ってきます、と言って下校した。
さてどうしよう、と思案したが先ずは昆虫がいなければならない、と思い立ち昆虫を捕まえに行った。夕方までに捕らえた釣果は社宅にひっくり返って死んでいたカナブンと蛾だった。その時点で華はないことが確定していたが、腐敗を止める為の注射をカナブンに打とうとしたら、針がポキっと折れた。あらゆることを断念して、家に転がっていたお菓子の箱にカナブンと蛾を虫ピンで刺して、刺さった針は菓子箱の裏面から飛び出ていた。
翌日、学校で昆虫採集を提出したら、皆が僕の箱に群がって、大笑いしていた。先生はガッカリした様子で、何これ?と聞いてきた。僕は痰が少し絡みながら、昆虫採集です、と言った。同じく昆虫採集をして来た女子がいて、千葉くんには絶対敵わないから、私断念しようかと思っていたんだよ、と言った。その女子は綺麗な蝶の標本を作っていた。最後に先生に言われた。頑張って出来ないなら、仕方ないけど、千葉くんの作品は頑張ってないし、何というか汚くて少し臭いがする、と。早い話が腐敗が始まって臭かったのだ。

僕は提出を取り下げてその昆虫採集を持ち帰って、処分の方法も分からずに、自宅の勉強机の横にあるフックにトートバッグに入れたままぶら下げていた。それから数日、僕は段々とそのトートバッグが怖くなっていた。死んでいる生き物への畏怖だと思う、僕はその重たい恐怖を抱えきれずに、ある日学校から帰るとすぐにそのトートバッグを中身ごと社宅の暗がりに捨てて一目散にその場から逃げた。すると、10分後、自宅のインターホンが鳴った。母親が何か謝っているのを見て、来訪者が帰ってから どうしたの? と聞いた。
すると母親は怒りながら少し笑っていて、雅人、昆虫の死骸が怖くなって、捨て方も分からずに、この社宅に捨てたんじゃない?と聞いてきた。
正にその通りだから、そうだと答えると母親は、命に触れたね、と言ってこの箱は供養しておいてあげる、と言った。これで僕のこの夏の課題が終わったのだった。

 

 

僕が見た世界 #10

2024.12.08

幼い頃、スズガエルというカエルを飼っていた。
僕は物心ついた頃から大の生き物好きで、ミヤマクワガタや祖父に連れられて行った縁日で買ってもらったカブトムシ、北海道苫小牧市にある北大の演習林で捕まえる鮒やカエルやカジカ、挙げればきりがないけれど、とにかく僕はいつも自然の中にいて、何かを捕まえていた。
ある時家族で行ったサクランボ狩りで僕は生まれて初めてアマガエルを見た。小さくて愛らしくて、僕はサクランボそっちのけでアマガエルを追いかけて捕まえていた。意気揚々と4匹のアマガエルを捕まえて、僕は狩りで充足した自分の体を全身で感じながら、愛らしいアマガエルを見つめていた。当然家に持ち帰り飼う気でいた僕に父親が、「帰るからもう逃がしなさい」と言った。
当然持ち帰るつもりでいた僕は食い下がった。が、家に持ち帰る入れ物がない、という理由で僕は捕まえたアマガエルを放すしかなかった。
悔しいのと、悲しいのとで僕は帰り道、途方に暮れていた。

こんな記憶があったから、とある日曜日に訪れたスーパーでカエルが売られていた時は快哉を上げた。
僕はそのカエルのディテールも見ぬままカエルだという事実に我を忘れて喜び、両親にひたすらお願いし、なんと飼うことが許された。
許された直後、僕はカエルの全身を隈なく見て目を疑った。なんとカエルのお腹部分がオレンジ色と黒色のまだら模様で、今まで見たものの中で最もグロテスクな態様をしていたのだ。本当のことを言えばこのまだら模様を認識した瞬間、僕はカエルを愛せないことを悟っていた。
そして、実は両親もカエルのお腹部分の模様に驚いていて、「雅人、本当に飼うのか?」と訊ねた。僕は全てのことを見て見ぬふりをし、コクっと頷いた。こうして僕のスズガエルの世話が始まった。倉庫の一角に大きな虫かごが置かれ、その中にスズガエルはまだら模様をたたえながら、いた。
僕は毎日の餌やりが苦痛でたまらなかった。スズガエルを可愛がるどころか、見るのも憂鬱だった。どれくらいの期間、餌やりに行っていただろう、僕はある時両親にばれないようにあることを決行した。それは虫かごの蓋を少し開けておく、というものだった。僕はその少し開けた隙間からスズガエルが逃げてくれることを期待した。そしてふたを開けた翌日、恐る恐る倉庫に入ってみたら期待通りスズガエルはいなかった。
僕は再び快哉を上げた。よし、もう見なくて済む!と心が晴れた。
両親にはスズガエルが逃げてしまったことを話し、晴れてスズガエルと無関係になった。
無関係になってある時ふと、でもカエルはどんこに行ったんだろうな?と思った。実はもしかしてまだ倉庫の中にいるんじゃないかな?と考えた。
なぜなら、逃げた日、倉庫は閉まっていたし、開けているときに逃げたらいくら何でも気付くんじゃないかな、と思ったのだ。
それで倉庫にしまってある自転車だの、雪かき用のシャベルだのを外に出し、倉庫の中を探した。すると、奥の方に黒い固形物が目に入った。
手に取ってみると、それはスズガエルがからっからに干からびて真っ黒になった死骸だった。

 

 

僕が見た世界 #9

2024.10.21

多分誰もが自分になろうとする。
名前を得て自分になるのだ。
でも、僕の体質は少し違う。
僕は名前を捨てたい。
そして、写真になりたい。

では僕が自分を寄せたい写真とは何だろう?
実はその答えはまだ僕にはないのだ。
なりたいのにそれが何か分からない。

匿名的であることはわかる。
つまり特別扱いされないものだ。
そして、取り出そうと思えばいつもそこにある。
スマホの液晶の中に、瞼の裏に。
また、何かの折に僕をたまらない気持ちにさせたり、寄り添ってくれたりする。
写真は記憶であり、像を持つエネルギー体なのだ。
だから、意味の世界から自由で毅然とそこにある。

多分僕は名前を得たからと言って、実体を得るとは考えていないのだ。
多分僕は”実”が欲しいのだと思う。
多分それが僕には本当のことなんだと思う。

今すぐ答えが欲しいわけでも、得られるわけでもない。
多分、得ようとしては駄目だと思う。
浴びるのだと思う。
味わおうと浴びた時、気が付いたら受け取っているのかもしれない。

 

 

僕が見た世界 #8

2024.08.16

小学生の時、H君という口唇裂のクラスメートがいた。
当時僕はその口唇裂を先天性の症状とは全く知らずに、ある級友からあれはダンプに轢かれたからああいう形状の口元になってしまったんだよ、と吹き込まれ、僕は完全にそれを信じて寧ろ、「H君痛かったろうなぁ」などと慮ったりしていた。

ある時、それほど仲が良かったわけじゃないH君の親友に、一緒にH君の家に行かないか?と誘われた。
その親友はN君と言って、大人しい目立たない少年だった。僕は無邪気に「いいよ」と答え、一緒にH君の自宅にお邪魔した。
N君にH君のお母さんを紹介された。はきはきしたきっぷの良さそうなお母さんで、怒ると怖そうだった。

H君のお母さんは僕たち3人に焼きそばを作ってくれて、それを食べている最中にN君が僕に目配せをした。
目配せがどういうものかというと、事前にN君は僕にH君のお母さんに会ったら、「H君はダンプに轢かれて口がおかしくなってしまったの?」と訊く様に僕にお願いをしていたのだ。僕は「何故そんなことを訊く必要があるのか?」と尋ねたら、N君は「そうするとH君のお母さんは喜ぶから」と言うのだった。僕は気が進まなかった。そんな中、N君からのGOサインが出て、僕は躊躇った。
僕が言わずにもじもじしていると、N君ははっきりとした小声で、「早く」と急かした。
僕は意を決して、「H君はダンプに轢かれたから口が変形しちゃったの?」とH君のお母さんに訊いた。
お母さんはみるみる顔を鬼の形相にし、顔色は赤黒く変色し、「ふざけんじゃねぇよ!!!」と怒鳴った。
僕は怖かったというより呆気にとられてしまった。僕は本気で怒った大人を初めて見た。殺される、と思った。
そして「てめぇ何言ってるのかわかってんのか?!」とまた怒鳴った。そして「なにこいつ、本気で殺したい、H!こいつ本当に友達なのか?!」とH君に詰め寄った。するとH君は「違う、こんなやつ友達じゃない!」と言い切った。
僕は訳が分からずにN君を見ると顔を伏せてしまいこちらを見ない。H君のお母さんは「なんでそんなことを言うんだ?!」と詰め寄って来たので、正直に「N君にそう言うように言われた」と話すと、N君は「そんなこと言ってない!!!」と突っぱねる。
H君のお母さんは「兎に角Hに謝ったら帰って。そして二度と来ないで。」とまくしたてた。僕は訳が分からずに「ごめんなさい」とだけ言い残してその場を後にした。するとN君が僕を追いかけてきて「ごめんね」と言ってきたので、なぜあんなことさせたのか尋ねると、もごもご何か言っているが要領を得ないので「僕、N君に何かした?」と訊いた。するとN君は深く頷いて「うん」と言った。

帰り道、僕はN君に何をしてしまったのか考えてみたが、一向に答えが出ずに、次の日にはH君の家での出来事も忘れてしまった。

翌日、登校の時校門をくぐるとN君が突如姿を現し、顔を見るとニタニタ笑っている。
でも僕は前日の出来事を既に忘れてしまっているので、いつも通り「N君おはよう」と言ってN君の脇を通り抜けようとするとN君が僕を捕まえて「ねぇ、僕のこと眼中ない??」と訊いてきた。僕は「そんなことないよ」とN君の言葉を打ち消しながら、彼に全く興味を抱いていないことには気付いていた。多分僕のムードからその事実がN君に伝わった。その瞬間、N君はわなわな震えてうな垂れてしまった。

 

 

僕が見た世界 #7

2024.08.16

中学3年生だった。

同じ中学の仲の良かった男女数人で花火をしようという事になり、近所の公園に集まり花火をしていた。

持ってきた花火もし終わり、皆で歓談していると、公園の向こうの方ではしゃぐ若者がいた。

その人たちはただはしゃぐのではなく、ロケット花火を無秩序に火をつけては飛ばし、火をつけては飛ばし、と繰り返していた。

うるさかったので、僕は「うるせぇよ」と声を放った。するとそのうちの一人がこちらを睨み、どこかへ走って行ってしまった。

こちらのグループのHが、「千葉やべぇよ」と言って震えている。僕は「大丈夫だよ」とまた皆で歓談を始めた。

すると重たいエンジン音が向こうからし始めた。ウオンウオン唸る車のエンジン音がさらに近付き、公園の前で止まった。

すると車から木製のバットを持った人が怒鳴りながら僕らの元へやってきて、「うるせぇって言ったのは誰だ?」と喚いた。

それは僕だったので「僕です」と名乗り出たら、その人は僕を引きずり回し、「調子に乗ってるんじゃねぇよ」というようなことをまくしたてて、着ていたTシャツがびりびりに破れるくらい、引きずり回した。

そして、黒いステッカーを眼前に据えて、「いいか、調子に乗るんじゃねぇよ」と言って唾を吐き、またウオンウオン唸る車に乗り込み、どこかへ消えた。ステッカーには地元で有名な暴走族の名前が記してあった。

Tシャツがボロボロの僕は顔を赤らめて、「ごめん、みんな、空気悪くして」と笑った。

すると皆も大丈夫か?と声をかけてくれた。

後日、花火をしたメンバーの一人の女子に、「カッコ悪くて恥ずかしかったよ」と話したら意外な答えが返ってきた。

「千葉君、恥ずかしくないよ、勇気あるなぁって思った」と彼女は言って、更にこう言った。

「だって本当にうるさかったし」。

試合に負けて勝負に勝った、と思った。

 

 

僕が見た世界 #6

2024.08.16

小学生高学年の頃だったと思う。
近所の書道教室に通っている子供たち男女数人で、その書道教室で鬼ごっこなどをして遊んでいた。
書道教室は民家で、コンクリートの階段を上ったところに玄関があった。
僕はその階段の上で、そこに植わっていた松の木から葉を抜き取り束ねて遊んでいた。
その時同じ集団のある女の子が手すりに摑まりながら階段を駆け上がってきた。
そして手すりに自分の体を完全に預ける格好で階段にいる僕に話しかけてきた。
僕はその子と会話をしながら手に持っていた松の葉で、手すりに体を預けそれを支えている彼女の手の甲に、松の葉をチクリと刺した。
彼女はびっくりした顔をして、そのままスローモーションを見ているみたいに階段から落ちていった。
彼女は背中を階段に強打し、そのままうずくまって起き上がってこない。
周りにいた子供たちはすぐに大人を呼びに行き、彼女はそこにいた大人の車に乗り病院へ運ばれた。
書道教室の先生も慌てて玄関に出てきて、事情を子供たちに聞いた。
でも誰も答えられなかった。
つまり、この件の真相を知っているのは僕とその子だけだったのだ。
その為、彼女が階段から落ちた理由はバランスを崩した事による転倒として受け止められることになった。

それから2~3時間後、夕刻に彼女は自分の親の車に乗って書道教室に帰って来た。
打撲はあるものの、骨折などの大事には至らずに済んだとの事だった。
皆で彼女を囲み、大丈夫か?などと声をかけたりしていた。

皆はそれぞれ一人ずつ彼女と言葉を交わしたが、僕の順番が訪れた時、
彼女は真っすぐ僕を見て、「大丈夫だから」と言った。
僕は「何が?」と言った。

僕は自分の松の葉が原因で彼女が階段から落ちた、と誰にも言わなかったし、その事を明るみに出すことを恐れた。
だから僕は「何が?」と言った。
彼女は、最初本当に悲しそうな顔をした。そして、エネルギーが消えてなくなるくらい寂しそうな表情をして、車に乗って帰っていった。

実は、僕は彼女に好感を抱いていた。
だから松の葉で彼女にちょっかいを出したのだ。

僕は彼女とその後小学校で目が合った記憶がある。
僕は少し微笑んで見せたけど、彼女はそれをやり過ごして何事もなかったかのようにまた前を向いて歩いて行った。
僕の記憶の中の彼女はそこで終わっている。

 

 

僕が見た世界 #5

2024.08.10

展示中気付きが多かった。先輩写真家のKさんが言った。
「千葉君普通だよね。」と。Kさんの言い方からネガティブな響きよりもむしろポジティブな響きが感じられたが、返答に詰まった。Kさんは逡巡する僕の様子から明確な答えが用意されていないことが分かったのだろう、また「普通なんだよな、千葉君って、千葉君って何だろうな・・・?」と言いながら会場を回った。そして、「千葉君、まだやる事あるな。まぁ俺もあるけど。」と言いながら写真集灰桜を購入してくれた。Kさんが来てくれた前日に蒼穹舎の大田さんと夕飯を食べた。その時大田さんは興味深い事を言った。「僕のやっていることなんて誰でも出来る・・・。」僕はそれを聞いてその時はよくわからなかった。どういう意味かな?とぼんやり思った。
大田さんの発言を思い出しながらKさんの言った「千葉君は普通」についてKさんが帰った後考えた。すると腑に落ちた考えが導かれた。

僕は天才ではないから、職人さんが研鑽を積んで、モノに触れた瞬間にそのモノのことが手に取るようにわかるように、僕もカメラに触れた瞬間に、目の前の被写体が写るかどうか分かるようになりたい。丁度お母さんが子供の額に手を当てて、その感触からこの子明日風邪をひくかもしれない、と触れた瞬間に我が子の全てを悟るように、カメラに触れた掌が、直感を持つ領域に入る為には、カメラに触れ、撮り、また触れ、また撮る、を繰り返していかなければならない。でもそうすれば誰でも「写真」が撮れるのだと思う。でも誰も掌の直感を得るまで研鑽を積み切れないので、ほとんどすべての人が「写真」の領域に入らない。

普通とは、誰でも出来て、でもほとんど全ての人が出来ないこと、を指すのだと思う。
僕が普通に辿り着いているかは分からないけど、Kさんの言葉は「僕が目指すべきは普通という領域だ」という事を僕に教えてくれたのだ。

清々しい気持ちになったし、痛快でもあった。
僕はカメラを触る事が生業なのだ。

以前、虻1という作品を撮っていた頃、上野で人に向けてシャッターを切っている時、いつも心臓が気持ちよかった。シャッター音が自分の中に響く度に心臓がキュンキュンした。
虻1を撮り終えるまでに何人の人をスナップしただろう、一定の緊張感の中で、僕は何回シャッターを切ったか 。
臨界点を迎えるころ僕の心臓は射精寸前だった。ある緊張感の中での相当数の反復作業。
ピークが訪れ、多分僕は写真の向こう側に入り込んだ。

あれ以来、あのような反復作業を僕はしていない。
またあの経験がしたい、というより、またカメラに触れたくなってきた。
掌の直感しか生きる道がない、とは思わないけど、そうすることで見えてくる道を歩いてみたい、とは思う。

僕は未だ何事もなし得ていない。

 

 

僕が見た世界 #4

2024.08.05

2週間の会期を終えて、次の写真作家の長谷川諭子さんにバトンタッチした。
僕は灰桜のシリーズに取り掛かる契機になったポートレートのことを思っていた。
山谷の泪橋の辺りを歩いていたら、向こうから1人の日雇いの人が歩いてきた。
僕はその人が視界に入ると寂しそうで優しそうな人だなと思った。
ふと、写真に撮りたいと思った。
僕が声もかけずにカメラを持ち上げて撮る姿勢を見せたら、その日雇いの人はコクっと頷いて自然にカメラの前で立ち止まり、そっとカメラに視線を据えた。
僕は、「そう」と小さく呟いてシャッターを切った。
写真を撮り終えて擦れ違う時微笑んだら、彼も小さく笑った。
それだけだ。でもその1カットが灰桜のシリーズを撮らせた。
一連の流れがあまりに自然だった。
どうして僕は彼に声をかけるのを躊躇ったのだろう?どうして彼はあまりに自然に立ち止まったのか?
僕はこの細やかな体験をワンネスと呼んだ。
束の間、この人と一つになった気がしたからだ。

このポートレートをプリントした時、そこにある哀愁に心が濡れた。
それから僕は、被写体まで2メートルの距離を取り、縦位置で全身像をポートレートし始めた。
僕は被写体の人達と、存在を認め合うシンプルな喜びを分かち合い始めた。

お互い今日も生きてるね、いいね、やってるね、、

そんな言葉を心で交わし合い、撮る事よりももっと大切な一期一会を楽しむ人生の挨拶を交感する事。
その先に灰桜はあった。

ある人が僕に言った。
「ねぇ、俺のロッカーの鍵持ってる?」

僕は彼の真意を知らない。
ただ僕はこの言葉をこう解釈している。
「あなたは僕の心のドアを開ける鍵を持ってますか?」と。
「持っているなら開けてくれないか?僕は鍵をなくしてしまったみたいなんだ・・・」と。

 

 

僕が見た世界 #3

2024.07.31

展示をしている。
見に来てくれた友人写真家のIが言っていた。
被写体の人達が撮られるためだけにいるわけじゃない気がした、と。
そして、被写体を撮るためだけに存在するもの、撮りたい画作りに協力して当然の人やもの、と自分自身思ってしまっていないか疑うことがある、と。
その話を聞きながら、あることを思い出した。
DYUF!という作品を撮影していた頃、ある女性に言われた。
被写体の人は千葉くんの虚栄心を満たすためにいるわけじゃないと思う、と。
多分僕が撮影中にどれだけの熱量を注ぎ込み、どれだけ苦労して撮っているかを滔々と述べ、そしていかに自分が凄いことをしているかを饒舌に話すのをみて、そこに傲慢の響きを簡単に嗅ぎ取ったからだと思う。
彼女は、釘を刺すように、千葉くんのような撮影方法をする人とは友達になれないかもしれない、と言った。
何故なら彼女は僕以外の僕と同じ撮影方法をする人に出会い頭に撮影され、さらにその人は撮った後に逃げて行ったらしい。

せめて、胸を張ってね、と彼女は最後に言った。

僕はその後もやめる事なくDYUF!を続け、力尽くで扉をこじ開け、虚栄心を満たし続けた。

柔らかさが大事だと今は思う。
暴力めいたものを行使する気は今はない。
スナップは動物になる行為だ。
合意を得てからでは消えてしまう何かは確実にあって、その何かに触れるために合意を得ない撮影方法を今もありだと思う。
ただ、その行為は今の僕ではないからもうやらないだけだ。
時々現れては消える、生の気配を開示してみたい、その欲求は僕には魔物だった。
一瞬見え隠れする生の気配に触れるため、僕はきっとスナップをやっていた。
あの頃の全ての行為を否定する気はない。
領域に入る行為は時に恍惚だった。
恍惚の中、目にした群像を美しいと思っていた。

ただ、写った写真に愛が希薄だったのは確かだ。
動物でありながら、愛が匂う写真を撮ってみたいと思う。

森羅万象は等価だ。
人も花も、虫も犬も、皆一様に等価だ。
あらゆる対象に同じ愛を注げるのだろうか?
僕のように世界をより良く伝える技術の無い人間には、エネルギーを作る精神性の作用はとても大切だ。
巧さから最も遠い白痴の領域で写真を撮りたい。

生きてるね、やってるね、、
森羅万象と一期一会の契りを心で結ぶこと。

届くだろうか?
僕の呼吸は例えば数年前に庭に咲いた向日葵に、届いていただろうか?

 

 

僕が見た世界 #2

2024.07.24

展示が始まった。
最後の人を撮影してから10年が経過している灰桜のシリーズ。
時間は確実に写真を熟成させる。
蒼穹舎の大田さんが気になる事を言った。

「熟成しているってことは生じゃないってことだよね」

その通りだと思う。でも今更ながら生って何だろう?と考えた。
生(なま)っていうのは、きっと苦しいって事だと思う。
写真が生(なま)っていう事は今現在生きている事の苦悩が写るっていう事だと思う。
それは撮影者も被写体も、その状況に関与する全ての苦悩を含んで、そうだと思う。

展示会場の壁に掛かった写真は、苦悩が揮発して軽やかで、柔和で、陽だまりのように明るい。

そうか、と思った。
生じゃないっていう事は、熟成しているという事は、苦悩から自由になり解脱しているという状態かもしれない。
だからこんなに写真が軽く明るいんだ・・・、と思った。

皆、仏みたいだなぁ・・。

僕は展示会場で一人呟いた。

 

 

僕が見た世界 #1

2024.07.20

展示が始まる。今年も蒼穹舎で。
友人の写真家Tが「千葉君ってなんで写真をジャンル分けするんかなぁ?」と言って
清水コウもそれに同意したらしい。
確かに僕はスナップ、風景、ポートレート、私写真、、そんな具合に写真を区分けしてやってきた。
Tはさらに続けて、「写真は写真じゃんねぇ?」と言ったらしい。
実はその言葉で僕の体は熱を帯びたのだ。「写真は写真」、その響きにジトっと汗を掻いた。
写真を始めた頃、よくわからないから何でも撮った。そして、何をどう撮りたいか、明確な
ヴィジョンもないから色々な被写体を、色々な距離で、そして色々なタイミングでよく撮った。
実は今写真専門学校時代に撮っていた写真をネガスキャンしているのだけれど、僕はその作業中にいつも感動している。
なんて自由なんだろう、なんて寂しいんだろう、なんて透明なんだろう、、
僕は、撮影を重ねていくうちに明確に一つの信念が生まれていく。
「顔を撮るべきだ。」
その信念が強すぎるばかり、僕は自分を結果的に制約していく事になる。
そして僕は不自由な写真家になった。

僕はその呪縛をどう振り払おう?ともがいていた。
その最中に僕へ投げかけられたTの言葉。
「何撮ったって写真は写真。」
それを敬愛するTから投げかけられたことも大きかったかもしれない。
「何撮っても良いのかなぁ?顔じゃなくても良いのかなぁ?
花を撮っても、人を撮っても、海を撮っても、庭を撮っても良いのかなぁ?」
僕は清水コウにそんなことを聞いた。
清水は頷いていた。

「灰桜」は2007~8年頃から2014年までの間、路地で出会った人たちをポートレートしたシリーズだ。
写真は僕の感じたものがそのまま表出するから面白い。
その人を僕が尊いと感じたなら、写真には尊さのエネルギーが宿る。
その人がダメに見えたら、写真に写るその人はダメに写る。
でもダメでも尊くても、僕の行う作業は一つだ。
それは彼らの心のドアを誠実にノックすることだ。
いつもいつもドアは開かない。
でも時々開くのだ。
そして開いたら何があるかと言えば、優しい陽だまりのような物がある。
でもそれも意外に普通なのだけれど。

僕は展示会場の始まりに、新しく作った写真集の終わりに、ある一つのフレーズを書いた。
それは撮影中ある被写体に投げかけられた言葉だ。
皆さんはこの言葉を聞いてどう思うんだろう。
出来れば会場に来て、20数枚のポートレートの前で、彼らの心のドアを優しくノックしてみて欲しいと思う。

心のドアを見る心の目があれば何を撮ったって写真なのだ。
写真は開かれている。

 

 

新コーナー「ブログ」

2024.07.20

例えば徒然草のように、由無し事を書き連ねられたらなぁ、と思います。
その週に起きた具体的な出来事や、精神的な出来事を僕を通して書き表していくのですが、
出来事も、それによって起こる現象も、その姿に”あるがまま"ということなど存在しないように、
写真も僕を通過したimageしか撮れません。
僕は僕が見た世界しか知り得ないのです。
少し写真から離れていた気がします。
段々と寂しく思うようになってきたので、写真のことを思いながら、日々の出来事を少しずつ書き下ろしていこうと思います。
いつも念頭に写真があります。
これから書き連ねていく出来事が、いつも目の奥に息を潜める写真を支え、時に寄り添い、一つになって零れ落ちるくらいに実る事を思いながら、さて始めてみましょう。