■ 読書感想57  山内道雄「Stadt」

良い顔をしている。

良い顔とはどんな顔かと考えた。
それは、強い表情やドラマを孕んだ顔のことではない。
良い顔とは、その人がその人として写っている顔のことだ。
その人が分かる顔。

だから、その人が分かる写真が良い写真だと思う。

ではどこでその人として識別しているのか?
どこを見てその人だと分かるのか?

ムードだと思う。
だから、その人のムードが写っている写真が良い写真だ。

僕は雑踏が好きだ。
何故好きかと考えた。
僕は雑踏の中で人をとても良く見ている。
被写体を探しているのだ。
何となく視界に入り込んだ人を吟味するようによく見る。
その時、僕は無意識にその人のムードからその人の類型や傾向を掴み、
そこから不完全さを探す。
そして不完全さに突き当たると、
途端に人としてかわいく見えて来て、愛おしさが湧く。
その半ば強引な人類愛のようなもの、
その体感が擦れ違う人の分だけ、
吟味する人の数だけ、
僕の躰を通過していく。
その愉しさ。
その愉悦が僕を街に駆り立て、
人を撮ることに向かわせる。

街は人で溢れている。
人の数だけ顔があり、顔の数だけ素性がある。
そしてその素性は全て不完全で、
それに触れる僕の中には軽蔑と愛おしさが背中合わせで同居する。
軽蔑は僕にパーソナルスペースを侵犯させ、愛がシャッターを切らせる。

それがスナップだと思う。

 

山内道雄「Stadt」  /  1992年5月10日発行  /  蒼穹舎