■ 読書感想66  楢橋朝子「FUNICULI FUNICULA」

とても晴れた日は不穏だ。
それは楢橋さんが生きることにとても真面目だから。
そして楢橋さんは自由だ。

強い呼吸、凶々しい程の集中力、そしてどこか力の抜けた心。
何でも撮って、そして何かは絶対に撮らない。
豪快のようでいて、丁寧に選ばれたシャッターチャンス。
濃い色彩は楢橋さんの生命力の色。

楢橋さんの世界はとても現実的で、現実の隙間に異界が潜んでいる。
日常の中にある凶区、当たり前の中にある、美。

例えば犬と僕たちの世界は違い、違いながら共に生活するように、
この世界は異なった世界のそれぞれの住人が同じ空間に住んでいる。
でもそんな時、ラジオのチューニングを合わせるように五感のチューニングを別位相に合わせると、魑魅魍魎が其処彼処に蠢いているのに気付く。
精霊が遊び、火の玉がバンバン上がる。

人間社会が世界の全てではない。
目に見えるものも、目に見えないものも、
説明のつくことも、説明のつかないことも、
この世界には同時に起こり、そしてそれぞれの位相は複雑に重なる。

不思議な力が必要なわけじゃない。
例えばパートナーが先に死に、
そのパートナーがいつも自分の側にいるように感じるように、
位相の異なる世界は常に身近にある。

写真を遺したいわけじゃない、
何かを達成したいわけでもない、
死んで何かを持って行けるわけでもない、

僕はただ感動したい。
目の前のことに、当たり前のことに、
束の間見える位相の錯綜に、
瞬間の爆発とスパークに、
マグネシウムがチカッと燃えるあの炎のように。

全て学び 忘れろ

と誰かが言った。
初めてそのフレーズに触れた時、
僕は腑に落ちて、同時に悔しかった。

かくあらねばならぬ人間の姿から逃れられない、と瞬時に知ってしまったからかもしれない。

 

楢橋朝子「FUNICULI FUNICULA」  /  2003年11月28日発行  /  蒼穹舎