■ 読書感想69 尾仲浩二「背高あわだち草」
不条理な野生。
律動する真っ最中。
風の痕跡。
大気の余韻。
有り余る体力は凶暴な生命力となって凝固する。
幾年も前に封じ込められた尾仲さんの白んだ熱は、封じ込めた瞬間そのままに、今の僕の生命力を凌駕する。
物体は和となりそこにはたらきが生まれ、命として屹立する被写体たちの躍動と、
苛烈過ぎて大気を白く灼く、真夏の太陽にも灼かれない尾仲さんの生の呼吸。
渇いているのに溢れるエネルギーと、
石化しているのに艶めかしい時代の空気。
遠い過去のことがその遠さの分だけ、
石化の強度のその固さの分だけ、
木々や草花をグロテスクにさせる写真の魔法。
あったことがあった、ということが
夢の中で夢を見ることが、
シャッターを切って終わらせた世界を
今目の前に提示されることが、
存在を増幅させるのはきっと時が事実を熟成させるからなのだろう。
夢から覚めてもまだ夢の中にいる甘美な余韻を、
もう終わってしまっていることに終わってから気付く残酷な現実を、
それを突き付けられて今を生きる僕たちも、この背高あわだち草のように
どこかで艶めかしい呼吸を息づかせているのかもしれない。
尾仲浩二「背高あわだち草」 / 1991年10月10日第一版発行、2015年第二版発行 / 蒼穹舎(第一版)、KAIDO BOOKS(第二版)