■ 読書感想70 森山大道「1980年代 余話」
寂しいくらい温かで、
怕くなる程、昏い。
僕の少年時代の80年代が今質感そのままに目の前にあって、僕の記憶が森山さんの世界にアクセスする。
気が付いたら僕は、80年代と森山さんの世界と僕の記憶とが内混ぜになった大気の中に1人立ちすくむ。
僕は嘗て富士の前にいた。
そこには山から出る湧水があった。
湧水は何千年も前にそこに降った雨だと知る。
僕はそれを白湯にして飲み、
眼前にあるその山を眺めた。
僕は何千年という目眩む時を思い、
聳えている富士を思い、
束の間、時と場所が交錯する大気の中に浮かび、
僕もこの大気の一部なのだと自覚した。
僕は森山さんの写真を前に、
富士の前で自覚したように、
大気の一部になっていた。
僕は大気の中にいて、大気は僕と一つだった。
その時堪らない愛おしさが込み上げた。
森山さんという人の、時代の、僕の、この世界の、大気の、
僕は全てと一つになり、
そのことが心臓を掴まれるくらい愛おしかった。
でもこれは特筆すべきことでもないような気がした。
何故なら悠久の大気はいつも僕たちを包んでいるのだから。
森山大道「1980年代 余話」 / 2022年10月10日発行 / 蒼穹舎