■ 読書感想73  藤原新也「印度拾年」

言葉が出て来ないのは何故だろう?と考えた。
きっと僕には純粋を表す言葉が少ないのだろう。
花の写真がある、直観的に悟る、これが裸ということなのだと。
そして止まる、何も出て来ない。

僕の空白を満たすように、裸の花が僕の中に入って来る。
僕は集中する、何も出て来ない無心の中に花が入って来ることを。
そして沈黙の中に花それ自体が躍動することに感動し、僕は花とは何かを識る。
それは言葉で表すことではない、花とそれに感動する藤原新也の 姿 なのだ。

僕は注意深く写真を見る。
目になって見る。
花を識り、群像を識り、水を識り、体温を識る。
そして僕は取り戻す。
比喩と意味で膨らんでしまった対象の、シンプルで絶対的な姿を。
大切なものが見つからない。
多分本当になくなってきているのだと思う。
でも見続けると動くのだ。
大切なものは動き、艶めかしい光を放つのだ。
無心がいい、やがて動きは心に流入し、
僕は本当のことを奪回する。

見るとは、一元性を取り戻すことだと思う。

 

藤原新也「印度拾年」  /  1979年12月10日発行  /  朝日新聞社