■ 読書感想74  上瀧由布子「糸遊 GOSSAMER」

倦怠。
そして上瀧さんの明るい本能。
本能を直観と言い換えても良いかもしれない。
目になって対象を的確に捉える。
考えていない。
体を頼りにシャッターを切り、
体は写ることを知っている。
写ることを知っている体のエネルギーは光と結びつき、明るさとなって露呈する。

倦怠と言いながら、上瀧さんは静かな日常を愛しんでもいる。
穏やかさと静謐が重なり、重なった後に愛の余韻が生まれる。

センスの担う部分は大きいと思う。
でもセンスのみで撮っているのでもない。
自分の呼吸が消え入るくらいの静けさの中に身を置いて、
しんと心を落ち着けた後で、世界の語りを聞いている。
その語りが上瀧さんが愛おしむ日常とリンクし、ポジティブな余韻となって僕の目の中で浮き上がる。

頼りないとは思わない。
不安定とも思わない。
ただ飽きているのだ。
穏やかな日常に、静かな毎日に。
でも同時に慈しんでもいる。

上瀧さんの「草の息  II」という最新展示を拝見した。
このファースト写真集から4年が経とうとしている彼女の最新作は、紛れもなく熟れていた。
倦怠が熟れているのだ。

倦怠は最早体質だ。
そして静謐の底に着いてそこから浮かぶ日常への愛も上瀧さんの体質だ。
出来事を起こすことも可能だと思う。
でも多分上瀧さんが、変化を望みながら、何か壊したいものがある訳でもない気がする。
破壊したい程の強い衝動は感じない。
ならばいっそ、宇宙的な静謐を呼吸とし、
鎮まり返った世界の囁きを、そしてだから聞こえる穏やかな愛を、僕は見ていたい。
その時、微かに僕の心は早鐘を打つはずだ。

何故なら上瀧さんの静けさは、誰もが手に入れられるものではないからだ。

 

上瀧由布子「糸遊 GOSSAMER」  /  2019年2月21日発行  /  蒼穹舎