■ 読書感想76  尾仲浩二「hysteric Five」

清水は機嫌が悪かった。
最近の旅先では清水がこうなることが増えていた。
理由は簡単なのだ。
思うように写真が撮れない。
ただそれだけのことなのだけれど、僕たちは写真家なのだった。

その日の宿泊は高知駅の近くだった。
不機嫌なまま一人散歩に出かけた清水が部屋に帰るなり、僕をビールに誘ってくれた。
僕たちは高知駅迄歩き、屋台村でカツオを食べ、ビールを飲んだ。
大したことは話さなかった。
でも彼女なりにムードを好転させようとしていることがいじらしかった。

この写真集の後半に差し掛かる辺りに見開きで2枚高知の写真があった。
写真を眺めていると空のトーンに見覚えがあって、撮影地を見るとkochiの文字。
その文字を見るや否や、写真の空のトーンに吸い込まれるように高知での出来事がフラッシュバックした。

写真は空気を写す。
その空気とゆかりのある僕の記憶の中の空気が紐付いて、そこで展開された出来事が手で掴めるくらい濃密に思い出され、
束の間、僕は夢の中に入り込む。

尾仲さんのおっとりしながら明晰な風景は、僕をいつも記憶の旅に連れて行く。
尾仲さんの絵に酔い、僕は記憶の夢に彷徨う。

僕は写真を始めて以来ずっと、夢の中にいるのかもしれない。
僕が心のアンバランスを抱えていた時代からすると、今は夢みたいな時間だし、
不全感のある日常とバランスを取るように存在している写真の時間は正に夢の時間だ。
そして訪れる村や町でまるで夢みたいだと呟く僕の今は、やっぱり夢の中だ。

余りに深く自分の心を見詰めたが故の喘ぎも、感情のコントロールを失い、皆一様に僕から去っていた悲しみも、夜の公園で頭を抱え、誰か助けて、と心で叫んだあの悲鳴も、きっと全て僕には必要な体験だった。

何が何でも全てに負けて、
自分で自分を殺すことも出来ずに、
圧倒的な無力感の中で、それでも生きていくしか方法がなかったあの絶望も、
全ての体験がそれぞれの色彩を持つことに、風景が気付かせてくれた。
黒も青も赤も黄色も、全て僕の中にあり、
だから僕は今、正夢を見ているのだ。

ふと、夢から醒めたら僕はどこにいるのだろうと思って鳥肌が立った。

多分僕はこの世にいないのだ。

 

尾仲浩二「hysteric Five」  /  2001年12月20日発行  /  ヒステリックグラマー