■ 読書感想91 平林達也「蝉時雨」
灰色が濃い。
極みではなく中庸が濃いのは、振り切れずにわだかまり、堆積したエネルギーが強いからだと思う。
出口が塞がれ、行き場を失ったエネルギーは、滞った「経験」によって蓄積していくのだろう。
白が強い。
白は無力の表れで、目の前の世界を操縦し切れずに、苛烈な陽射しが暴力的に流れ込んだ痕跡だ。
つまり、制御やコントロールから遠く、結果的に手付かずになったエリアだ。
手が届かない局面では手付かずを維持し、手が届く場面では経験を反復する。
広島は光に無力で、そしてまた光によって出来た傷により、感じたことに従うことを恐れ、体験を経験によって対処する時間が続いたのではないだろうか?
そこにあるのは現在や予兆ではなく、過去であり追憶なのかもしれない。
広島にはそのムードがあり、これを撮る平林さんにもそのムードは侵食した。
だから蝉時雨は挽歌だ。
蝉が地中の養分を食べ、蛹から羽化して真っ盛りに鳴く声を聞くと、光の傷が疼くかもしれない。
誰もが光に対して無力だ。
この圧倒的な無力感の中で、祈りは有効のような気がした。
克服なんて出来ないという祈り、だからもうしたくないという祈り、図らずも逝ってしまったあらゆる生命への祈り、だ。
平林達也「蝉時雨」 / 2025年6月27日発行/ 蒼穹舎


