おかあさんの庭

下北半島の陸奥湾に面した古い家に「おかあさん」は一人で住んでいる。
広い庭があり、車道からは手前に庭、その奥に家屋が見える。
フェリー乗り場へ向かう道中、車窓から色とりどりの花畑が目に飛びこみ、写真を撮りに車を停めて降りたのが、おかあさんの庭だった。

庭の9割は花畑、残りの1割程度のスペースに自分が食べる分だけの野菜を育てている。
その時もおかあさんは庭仕事をしている最中で、「写真撮らせてもらってもいいですか?」と声をかけると、「こーんな庭撮るのお?」と高い声で汗を拭きながら立ち上がってくれた。
「ついこの間までもーっと綺麗に沢山咲いてたのにい、今こーんなとこ撮っても」と言いながらも、自分の庭を撮りたいと申し出るよそ者を疎ましくは思わず喜んでくれているようだ。
黄色が一番多い。その次にピンク。それから紫も。
雑然の中に美しさがあるようで、おかあさんの謙遜を聞きながら中腰で何度かシャッターを押す。
直射日光に花びらが光って眩しい。
虻が数匹飛び回っている。
「味噌汁食べてく?」と、いつの間にか横に立っていたおかあさんが聞く。
一人で暮らして長いのに、いつも多く作ってしまう、今朝作った味噌汁がまだ沢山残ってるんだけど、素人の雑な料理で良かったら、と言われて、断る理由は見つからない。

古びたビールケースをひっくり返した急ごしらえの椅子に座り待っていると、お椀になみなみと注がれた具沢山の味噌汁を手渡される。受け取る指に汁が垂れる。庭で採れたじゃがいもとえんどう豆が椀の中にひしめき合っている。芋は大きく切ってあり、これ一杯でちゃんと食事になりそうだ。
東京からこの場所に移り住んで30年。しばらく前にだんなさんを亡くしてからはずっと一人で住んでいる。娘はいるよ。秋田にね。でも娘のとこの世話になるわけにもいかないでしょ。まだなんとか一人でやってけっから。
どれだけ住んでてもね、いつまで経ってもよそ者はよそ者だね、と言うおかあさんは、どうやら近所付き合いはあまりうまくいっていない模様。
でも一人で楽しいよ。庭やってると一日あっという間。
久しぶりの会話なのか、おかあさんの声は大きく、何度も同じことを繰り返しながら話止まない。
せっかくだから記念に、撮った写真をプリントしておかあさんにも送るよ、と言うと、そんなのはいい、いい、こうやって会えてこんな庭、撮ってくれただけでも嬉しいから、と住所も名前も教えてくれない。
何度尋ねても同じ返事なので、そうか、それなら今のこの光景と名前も知らないおかあさんを忘れないでいよう、と思い直す。

発光する庭の、濃いめの味噌汁。まとわりつく虻の羽音。強い日差し。汗の伝う背中の後ろで海は凪いでいる。
初めて食べたえんどう豆の入った味噌汁は、豆の風味が汁に滲み出てとても美味しかった。
今度、自分でも作ってみようと思っている