■ 読書感想38  坂上行男「水のにおい」

水がある。
河原を歩く時、そこはかとなく匂う水。
冷んやりしていて少し陰があり、
近くに水があるとわかるような、水がある。

じゅん と湿っていて、心の深くに沈み、
体の中の水と呼応し合う。
だから僕は、僕の体の中にも水がある、と識る。

みぞおちの中の水が少し疼く。
渇くより濡れる方が嬉しい。
潤うことは官能だから。

でも、水に濡れるのは憂鬱だ。
でも、憂鬱の向こうにしか面白いことはない。

暗室をやっていた頃、
薬液や水洗で手が濡れることが嫌いだった。
でも手が濡れると、体が暗室の赤い光に順応した。

濡れた時、僕は違う世界に入っていく。
入り込む世界は官能的で尊くて、
秩序が転んでいる。
僕は乱れた秩序を感応でととのえる。
焼き上がった写真は、ととのえた証だ。

水は結界で、
その奥は世界と交合する踊り場だ。

 

坂上行男「水のにおい」  /  2020年6月29日発行  /  蒼穹舎