■ 読書感想79  楢橋朝子「春は曙」

湿度が軽い。
シーンの切り替えが烈しい。
意味の脈絡から自由で、いつも目の前のことに集中している。

被写体から近いようで遠い。
世界との関わりが、親和や融和ではない。
それよりもっと生理的なこと。

自分に責任はない、でも何かが起こっている。
そんな不条理も含む楢橋さんの生理。

付き合う人がいて、その人以外の好きな人がいて、そこに罪悪感がなくて、
連なりから自由で、でも生理には誠実で、為に一見不条理で、その実世界から存在を許される人。

罪の意識から自由だから、霧のように立ち籠める湿度も軽い。
憂鬱がないわけではない、でもまとわりつく憂鬱を、視線がいとも簡単に突破するのは、楢橋さんが何を見るべきか知っているから。

自分は何故ここに立ち、何故これを見ているのか、楢橋さんは生理的に知っている。
つまり、見えないものを信じ、聞こえない音を信じ、説明のつかないものや不思議なものを、不思議だとそのまま信じているからだと思う。

僕はそのことから勇気を貰う。
誰を説得するわけでもなく、自分が信じたものを信じていると公言することで、信じていることの責任を取り、ヒューマニズムから遠く離れた不条理を受け容れる。
誰からどう思われたとしても、ただ私はこうだ、と宣言し、被写体の前で自分を晒す。

今ここで声を出さなければおかしくなってしまう、それが歌だと思う。
今この場に立たなければ気が狂れてしまう、それが写真だと思う。
立つ為には自分を信じなければならない。
楢橋さんが信じているのは、ことの真偽ではない、経験がもたらす感動なのだ。

 

楢橋朝子「春は曙」  /  2023年2月1日発行  /  OSIRIS